骨壷と桜並木

「桜は嫌い、かなしくなる」祖母の命日が近づくと母がいつもそう言っていた。

祖母が亡くなって10年以上経つのだが、歳を重ねるたびにまたひとつ気持ちに折り合いがついてしまう気がする。忘れるわけじゃないのに。

当時中学2年生の私は父親によるストーカーがきっかけで学校に行けなくなった。そんな時に祖母に介護が必要になり、急遽家族で祖母と同居を開始した。

母はシングルマザーで元夫である私の父親から慰謝料も養育費も支払われずに、片道2時間かけて通勤する仕事をフルタイムでしていた。家に居た私はなし崩し的にヤングケアラーになった。

祖母を看取るまで暮らしていた1年間、私は常に疲れていてその日もしばらく経ったあとも、悲しむことができなかった。泣きもしなかった。ただただ疲れていた。他の家族も同じだった。

私は幼い頃から5人の孫たちのなかで祖母と一番長い時間を過ごしていた。たぶん愛情を独り占めしていたと思う。祖母と私は感性が似ていた。好きな色も、人形の蒐集癖も、人にはっきり物を言えなず取り越し苦労で泣くところも、身支度にかかる時間がやけに長いところも。

祖母と私の関係性がなんであってもどんな思いを抱いていても、子供に大人の世話をさせて良い理由にはならない。もっと国の支援があれば、社会の認知が進んでいれば。そもそも介護は労働であるし、ヤングケアラーは子供が社会から虐待を受けている状態とも言える。いつだって個人ではなく社会的構造に原因がある。

春が近づくと、祖母が亡くなった日のことを思いだす。祖母は花がとにかくだいすきで、その日は示し合わせたかのように桜が満開だった。火葬場へ向かう車窓からぼんやり眺めた桜並木は、風に煽られ、波がうねるみたいに連続してた。火葬場で焼かれた祖母の骨は薄く青磁色を纏っていた。美しいとおもった。かなしみより先にそうおもった。

生前に交わしてきたいくつもの会話よりもその景色を鮮明に覚えている。

とっくにかなしくはないんだけど、記憶に呼応する名前のつかない感情を置く場所がない。留めておきたくもないし捨てたくもない。

だから暖かくなると毎年、春の東京の派手でさみしい景色から逃れて海を見に行きたくなる。どっかで星も見たい。でもどこでも遠くてめんどくさいなと結局ひとりで笑っていたりする。

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形見の腕時計、2年前からようやく使い始めた。