一年ののち

この街で暮らしはじめて今月で1年が経った。

初めて買った一枚目のレコードが棚に鎮座し、部屋に飾る絵やフライヤーが増え、本棚から本がはみ出しはじめた。増えるのは物ばかりだけどどれも私を縁取る大事なものだ。

ほんのすこしのことですれ違ったり、誰かがなんとなく言ってくれたひとことでうんと遠くまで行けそうな気持ちになったり。はじめましてとくだらない質問、さよならをいう暇もなく会わなくなるような忙しない繰り返しの中で日々は進む。

この前友だちに紫文ちゃんが思う愛って?ときかれて、気にかけることが愛することだよと答えたら「じゃあぼく紫文ちゃんに愛を感じてるかもしれない」と言われて私は笑って誤魔化しちゃった。ひどいかな、返すことができない愛になんて言えばいいんだ。安易に愛を受け取ってはいけないよな。

個人的には愛することは見返りを求めないで気にかけることだと思うけど、やっぱり人間なにも求めていないなんて、口ではどうとでも言えても本当の心はわからない。

私が周囲の人にかたむけてる愛には差はないつもりだ、だいたいおなじ慈愛でありたい。自分がすきなひとたち以外知りたいと思うひと以外全然興味ないし、私を知らない他人には土足で踏まれたくないしな。

だけども自分が特別扱いしたくなってしまうひとはごく稀にいて、この人のために負けてあげよう、この人が私と過ごす時その人らしくいられるように。必要とされた時だけそうやって寄り添えばいいや、名前さえ呼んでくれないけどみたいな美しいあやまちとも言えること。いつだって貸した本みたいに返ってこないつもりでいるギバー。でも近づきすぎないでとも思うからややこしい。

私は誰かの心を受け取らないし誰かも私の心を受け取らない。まるで噛み合わない線上を生きている。いつか誰かとまたすこしだけおんなじ気持ちを持てたらいいね。いやそんなものがなくても誰の心も何にも脅かされない毎日があったら、なにがあろうと自分の心を守り続けられたら、それだけでいいよ。

おとつい、私が送ったメールが初めてラジオで読まれた。私が一等、憧れてるかたがすごく丁寧に、私のままそのままでいていいのだというふうなことを言ってくださった。表面的にはすこやかに暮らしつつも、憂鬱な気分が続いていたので嬉しくてさすがに泣いた。

ただ、憧れを追うだけではよくない、頼りすぎるのも。憧れが打ち鳴らしてくれるものに呼応とまではいかなくても、必ず自分なりのなにかにして生きていこっておもってその勢いでまたひとつ新しい詩を書いた。その詩は30、31日に開催の高円寺Amanojakuさんでの展示にてお披露目します。

そして来週水曜日はいよいよ参加する音楽と『  』展が始まります。

場所は高円寺 前衛喫茶マチモさまにて。

新作詩集「RESONATE」発売日。ほか数量ですがポストカードも販売いたします。

どうぞよしなに。