お喋りの橋をかける

良いライブを観た日は「誰もおれに話しかけるなモード」で爆速帰宅をしたくなる。それと同様に楽しい会話をした日も爆速帰宅に限る。

楽しい会話をした日はいつもの帰り道がなんだか明るい気がする。

ひとりでいるのも好きだけれど、会話はひとりじゃできない。

「自分も同じこと思った」とかってときと同じぐらいに「全く違う視点」もかけがえのないもので、自分のなかで何かの発露になるお話や言葉を他者から聞けたときは心が踊りだす。

思えば、子どもの頃は話すのが苦手だった。他者とずれたことばかり言ってしまい、失敗する気がして怖かった。

時間をかけて自分を知って、次に他者を知ることに同じぐらいの時間はかけられなくても、バウンダリーを踏み越えないように心理的安全に注意しながら、丁寧に言葉を受け取ってという時間を何度もだれかが共有してくれて、やっと会話が好きになれた。

他者と居合わせる、響き合う美しさを知ることができた。やっぱりそれはひとりではできなかった。いつも聡明な友人たちが私のお手本になっている。たくさんのジェンダースタディーズ、クィアフェミニズム社会学の本も助けになってくれた。

ほんとうに些細な言葉の端に良くも悪くも本音が表出してしまうし、たった数文字の違いで伝わり方も大きく変化する。そのあわいも楽しいし時には間違えることもある。それでも他者がとても大事だし自分が大事だから、すぐに言葉が出てこなくて時間かかっても容易い言葉はできるだけ選びたくない。

言葉に何を託すのか、その人の何が宿るのか、知りたい。

自分と他者に流る川にどんな橋をかけよう。

願わくばその様がすこし不恰好でも何年も壊れることのない橋がいいなとおもう。

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ちなみにこの写真は池、川の写真は撮ってなかったのでかわりにスワンだらけの池をご覧ください