走りがきの日記

 

ここ数日は2年ぶりぐらいに強く希死念慮が出ていて、最低限できる範囲で生活を回していたり回せていなかったりする。

最近わかってきたのだけど、私は自分の感情を認識するのにすごく時間がかかる。あと実は場面緘黙がある。感情をその場で表現することができないため、コミニュケーションですれ違いを発生させ、すべてを極限まで耐えてしまう。

場面緘黙については誰にも話したことがない。たぶん理解されないし、私は自分のジェンダーセクシャリティや生育歴が複雑すぎるため、そんなことまで他者に伝える隙間なんか到底見つからない。

考えてみれば詩人をやっているわりに、私の書いてきた詩の中に感情がわかる部分は少ない。以前他の詩人のかたにもらった感想の中で「アノマリー」という言葉があったのが、ようやくちょっとわかった気がする。

自分の感情と自分自身にすごく距離がある。例えば、他者から搾取的に扱われたり人格否定をされたりしても、その場では何も感じることができないから反論もできない。しばらく後になってひとり傷ついたと自覚する。あなたに会えてうれしいとか今すごく楽しいとかそんなシンプルで明るい気持ちすらもその場で表現することができない。

自分と感情さえズレているのに、自分と他者間なんて難しいはずだ。コミニュケーションの中で自分がうまくできない部分を補うために、なるべく情報と状況で判断して対応してるつもりだけど、噛み合わないことが少なくない。淡々としていれば硬いとか冷たいと言われるし、だれかの選択や美点を肯定すれば特別視されたり舐め腐られたりする。勝手に好かれて勝手に憎まれる。

結局のところ、「人間ってこうやるんでしょ?」を必死に見よう見まねでやっているだけな気がする。もう人間29年目なのに。

なにも向いてないしままならないし自分が壊れたロボットみたいに思えて、すっかり自信がなくなってしまった。

今こうやってなるべく客観的に死にたいという気持ちを分析しているのも、自分と感情に距離があることが原因なんだろう。自分はつくづく不自然で不気味だと思う。

もっと過酷な環境にいた時はこの世に引き留めてくれる友達もいなかったから、今は毎日険しいなりにも恵まれてるんだろう。まだ生きる意味があるとすれば、また私に会いたいから生きていてほしいと言ってくれる友達を裏切らないため。今は自分のためには生きていたくない。でもそれでいいと思う。

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