ここ最近の個人的な話。私はノンバイナリー(の中でも私は中性にあたる)でパンセクシャル(全性愛)であるのだけど、クワロマンティック、クワセクシャル(https://jobrainbow.jp/magazine/whatisquoisexual)でもあるなと気づいた。
クワロマンティック(クォイ)、クワセクシャルは自分が他者にいだく好意が恋愛感情か否か、また自分が他者に感じる魅力が性的魅力か否か判断できない/しないセクシュアリティのこと。
私は常に身近な人たちに、あるいはそうなりそうな人たちに親愛を感じていて、この人すきだなってひとりに対してだけなんてことはなく。関係性に名前や定義を必要としない、持ちたくないと思っている。誰に対しても態度が同じなのもあって。
とりわけ日本はロマンティックイデオロギー(一対一の純愛)を小さい頃から刷り込まれてみな育つので、恋人じゃなきゃできないことなんてない、名前のない関係の話をすればスラットシェイミング(https://ideasforgood.jp/glossary/slut-shaming/)されがちで社会にまだ馴染んでいない現状がある。
そもそもジェンダーアイデンティティやセクシャリティは流動性があるということ。
以下引用
"「変わっていた」のはこれまでのあり方であって、時間をかけて自分の「本来」の姿を探し当て、これからはそうあろうとしている、ということ。こうした発想は、性の「流動性」という概念に立脚する。性は必ずしも固定されたものではなく流動的であり得るし、それはまったく異常な状態ではないということ。"
※ryuchellさんへの社会の誹謗中傷から見る幾重にも重なった構造の歪みについての記事です。私自身も励まされたとても良い記事ですがryuchellさんのこと思うとまだ辛いかたもいるかもなのであらかじめご注意を。https://qjweb.jp/journal/83491/
自他の境界を浸食〜lose control〜し合う国ではジェンダー・クィアスタディーズに触れる機会も少なく、まともな性教育も受けられないのでジェンダーやセクシャリティの流動性について知らない人はかなり多い。けれどこれからいくらでも知っていけばいいね。
自分のセクシャリティの新たな気づきがあって動揺もしたし、まだごくわずかな話したいと思った人にしか直接は話していないけれど、これは私にとって嬉しいこと。
今まで他者との関わり方でつまづきやつらさを感じていた理由やモヤモヤを解きはじめている。
私は変わったわけではなくて、本来の自分に近づいているのかなと思うと明るい予感に満ちている。また見えるものも増えるはずだ。心をふるわせるなにかも。
そんなこんなで
男女二元論を前提としたジェンダー規範や異性愛規範、ロマンティックラブイデオロギーなどなどを解体したく
私は日々、草の根をもしゃもしゃとかきわけてるのだけど
まじで余計なもん無い方が他者との交差や響き合い良いはず、合意形成したほうが盛り上がるのと同じで。
もちろん響き合わなくてもいい。
常にひとりひとりとして。
(写真は全然関係ないすきな喫茶店のクリームソーダ、ラピスラズリの色を纏っていた)
以前私もエッセイを掲載頂いたme and youさんに昨日良い記事が出てたので載せておく。とてもすてきな発明。だれかなにかの発露や明るい予感になると思う。
https://meandyou.net/202307-hoshinoariyoshi/
あと最近この曲がそんな自分の気分にあっている。
「いいたいことやりたいこと、この先だって変わるよ なにも石に彫ったわけじゃないからね」
https://open.spotify.com/track/6JvZVH0A19Ijr2O0zOZvsO?si=ITYmKolwQ9uzGFF-SUBN1w
未来は見てないようで見てるけどね!めちゃめちゃ!