発火点は、その発露はどこがはじまりだったのだろう。
一等好きなひとに初めて触れた日のことを何故だかうまく思い出せない。どれだけ反芻しようと触れるほど遠ざかる。そんなことと少し似ているのかもしれない。
美しさは意思であるけれど、その均衡を保ちながらひとりで立つようなもののように思う。風に吹かれ、憂い、踊りながら。邂逅がおとずれても束の間のひと時かもしれない。
居合わせることができたなら、ひと目ですべてを変えてしまう。ひょっとしたら刺し違えるか、一生を捧げてしまうことになるかも。
こんなにも洗練された美しい世界が日々のとても近くに、例えばそれは親の車のダッシュボードの中に、だれかから借りてきた何枚かの中に、初めてのバイト代でジャケ買いしたものもそうだった。無意識のうちに触れ、やがて自ら選び、いつしか自分が美しいと感じるものの指標のひとつとなった。
今日アートディレクター信藤三雄さんを偲び開かれた「1日限りのSEE YOU!320展」へ行った。
購入させて頂いた形見分けの沢田研二さんのSTRIPPERのレコードを抱えて、
(考えてみるとド紫のスーツに襟にはたっぷりのフリルといういでたちに、むきだしのジュリーのレコード、まるでロマンチックの暴力)
恵比寿駅まで歩きつつ、ミラーボールに吸い込まれるように入店した喫茶店で今これを書いている。店ではアレサフランクリンが歌う「Oh No Not My Baby」が流れている。