無憂宮

東京で生まれた私は、小さい頃からあちこちを転々としながら育った。

ラップ現象が起こる平家、花火大会が見えた川沿いの家、いじめっ子が隣に住むボロいハイツ、人形だらけの祖母の家に居候していたこともあった。

8 歳の時に住んだ家族念願のマイホーム。かなり縦⻑で、家族の間では親しみを込めてロケットハウスと呼んでいた。ようやく引越しをしないで良くなると安心したのも束の間、ロケットハウスには父だけになった。私たちは父の暴力から逃れる為、脱出。祖母の家に身を寄せた。

成人してから暮らしたマンションは、フランス語で「憂い無し」という意味でドイツにある宮殿と同じ名前だった。

私がそのマンションで過ごした日々は憂いで満ち溢れ、私は私の王女さまではいられなかった。

気づけば楽しい引越しを経験することなく、引越しの回数が年齢を上回ってしまった。そのほとんどに自分の意思は反映されていなかった。

荷造りには慣れていたし、どこに住もうと自分が投げ出さない限り生きていけた。生きていくしかなかった。

友達を作るたびに離れ離れになって忘れられたし、自分も忘れようとした。

大人になっても転校生のままのような、孤独が拭いきれないでいた。


海外ドラマ「セックスエデュケーション」にメイヴというキャラクターがいる。高校生で、一人でトレーラーハウスに住んでいて髪はピンク色。 フリンジのジャケットをよく着ている。愛読書はヴァージニアウルフ、ロクサーヌゲイ、シルヴィアプラス。 才能や学ぶ意欲があるのに家庭環境に恵まれていなかったが、大学奨学金の為の適性 プログラムに合格。課題で「10 年後の私」を題に作文を書くことに。

その作文にはこう記されていた。

「10 年後には大きな窓のある家に住みたい。キッチンはテーブルと椅子を 4 脚置ける広さだけど、孤独を感じるほど広すぎはしない。多分孤独だから。でも窓があれば孤 独に潰されそうにはならない。盾となり、外の世界を見せてくれるから。」


私にとってメイヴが他人とは思えなかったのは、髪がピンク色だからでも、フェミニストだからでも、厄介な家族がいるからでもない。

自分と同じく、安全で孤独を感じない家に憧れていたから。

私は本物の無憂宮を見つけたかった。メイヴが描いた夢の「大きな窓のある家」のように、自分を解放し守れる場所を。

 

こびり付いて剥がれない意地悪な言葉。レッテルやダサいあだ名は飽き飽き。馴染もうとしては浮き、はみ出しものは嫌われる。孤独に立ち向かうには、丸腰ではとてもいられない。


小さな解放区の中でしか息をできないから、どこに住んでも部屋には必ず無駄でうつくしいものが必要だった。

くたびれたぬいぐるみ、壊れて置物になったオルゴール、ちぐはぐな古着、美術館や映画の半券、途中でやめた日記。今も変わらず生産性のない物に、生かされている。

お守りなしで生きられるほど、まともな大人にはまだなれそうもないから世界のどこでも自分の解放区にする勇気を持てるように、身につけられるお守りとしてバトルジャケットを作った。


「Stay Weird Stay Different」とハンドペイントした自作のパッチ、NO LADY SWEARS さんのハンキー、ルルイエさんの ZINE「BAD GIRLS GO EVERYWHERE」の付録のハ ーレイクインのパッチ、「Thinking is my fighting」と書いてあるヴァージニアウルフ のピンバッジ。はばたけそうなたっぷりのフリンジは、メイヴへのリスペクトだ。

それらを飾ったジャケットの色は白。これからはいくらでも汚したって構わない。悪い子はどこへだって行けるのだ。

 

大島弓子さんの漫画「ロストハウス」には、自分だけの秘密の解放区から全世界を自分の解放区に変えた主人公のセリフがこう綴られている。

「この世界のどこでも どろまみれになっても

思いきりこの世界で 遊んでいいのだ わたしはわたしに言ってみた」

五月の朝の街を走り出す主人公に、私は自分を重ねた。

私が求めていたのは、自分に尽くして生きられる場所、それはどの街にもどんな建物の中にもない。

無憂宮は自分の意思で築こうとしなければ、たどり着くことはできない。 どこにでも行ける象徴のジャケットを着て、私は私の解放区を開拓する。

魂はとびきり軽くして、手荷物は持たずに。